山野井泰史 山野井妙子 究極の登山家は聖人か?狂人か?【画像&動画】 [山野井泰史 山野井妙子 登山家 アルパインスタ ]
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さて、お待たせしました。
「天国に一番近い男」と称させる、山野井泰史さんとその妻・山野井妙子さんについての記事です。
「究極の登山家」とも言えるお二人です。
サポート・チームから支援を受けることもなく、酸素ボンベも固定ロープも使わず完全に自分の力で山頂を目指すアルパインスタイルの第一人者です。
当然ながら、アルパインスタイルは登山の中で最も難しく危険だと言われています。
2002年10月、山野井さん夫婦はたった二人でヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に挑戦しました。
7500m地点まで2人で上り、夫は見事に頂上を極めます。
下山中、お互いの身体をロープで繋いだまま雪崩に遭遇します。
妻は滑落し中吊り状態。
夫は雪崩のダメージで目が見えなくなります。
夫は、そんな絶対絶命の状況で、冷静に「生きる」ことを選択します。
切れ切れの意識を奮い立たせて、夫は妻の救出に向かいました。
妻が生きていることを確認し、後は下山あるのみ。
ロープを固定するくさびを、氷壁に打ち込む必要がありますが、目が見えません。
手でさぐっても、零下30度に対応するための手袋ではわずかな隙間を知ることができません。
夫は、手袋を捨て、凍傷を覚悟で素手で氷壁を調べます。
失っても良い指は、どれか?
まずは左手の小指。
ようやく探りあてた1箇所にくさびを打ち込みます。
ここまで、1時間。
すでに、左手の小指は重度の凍傷となり、感覚がなくなります。
続いて右手の小指。
そして次のくさびを打ち込みます。
こうして、自分の指を犠牲にしながら少しづつ、少しづつ、氷壁を降りていきます。
想像を絶する精神力ですね・・・・。
こうして、ようやく氷河に降り立ったとき、2人の体力は限界を超えていました。
生きてベースキャンプに戻れるかもわからない。
死を意識した2人は、互いに生きていた証として写真を取り合います。
そして、最後の力を振り絞り、奇跡的に自力でベースキャンプへ戻ります。
予定より1週間後のことでした。
この壮絶な下山の過程で、泰史さんは手足の指を10本、妙子さんは18本失うことになってしまいました。
当時を振り返り、泰史さんは穏やかに語ります。
「とってもいい登山だった」
「おもしろかった」
「やっぱり、僕のやっていたことは間違いじゃない」
妙子さんもにこやかに語ります。
「自分達の限界を極限まで出したなと思います。」
指をそんなに失ったら、登山どころか通常生活にすら困難なのでは?
と思うのですが、二人の生活はいたって普通。
妙子さんは、家庭菜園をやり、庭で取れた野菜を手馴れた手つきで料理をします。
親指は、切断された根元の指を使って、お箸なんかも普通に使っているのですよ。
びっくりです。
そして、泰史さんは、暇さえあれば、自宅の部屋に作ったクライミングウォールを登ってトレーニング。
あ、これは普通じゃないですね。
クライマーとして、あまりに大きな代償を払った二人が、山登りを止めたとかといえば、そうではないのです。
長期にわたるリハビリとトレーニングを経て、2007年には、夫婦でグリーンランドの未踏峰の岩壁オルカに挑み、
見事に成功させてしまった。
なんという二人だろう。
衝撃的です。
感動を超え、呆れてしまうくらいに衝撃的です。
もはや、凡人の私には、この夫妻が超人を超えて、聖人にも狂人にも見えます。
「今まで登ってきた中で、一番難しく印象に残っている山はどこか」という質問に対して、
山野井泰史さんはこう答えました。
「自分より高いレベルの山を目標に設定するため、どの登山も良く、比べられないという。ただ、本当に自分の力を出し切って下山した時が本当に良い登山だという。そういう意味では、指を失ったギャチュン・カン登山は最高の登山だった。」
山野井夫妻は、山がこの世から無くなったら、生きていけないのでは?
山に登ることが、生きること、そのものなのですね。
山の神に愛されているのでしょう。
次のターゲットは、「ヒマラヤ マチェルモ」だそうです。
いつまでも、元気に山に登って頂きたいです。
山野井夫妻の記録をまとめたドキュメンタリ「情熱大陸」はこちらです。
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さて、お待たせしました。
「天国に一番近い男」と称させる、山野井泰史さんとその妻・山野井妙子さんについての記事です。
「究極の登山家」とも言えるお二人です。
サポート・チームから支援を受けることもなく、酸素ボンベも固定ロープも使わず完全に自分の力で山頂を目指すアルパインスタイルの第一人者です。
当然ながら、アルパインスタイルは登山の中で最も難しく危険だと言われています。
2002年10月、山野井さん夫婦はたった二人でヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7952メートル)に挑戦しました。
7500m地点まで2人で上り、夫は見事に頂上を極めます。
下山中、お互いの身体をロープで繋いだまま雪崩に遭遇します。
妻は滑落し中吊り状態。
夫は雪崩のダメージで目が見えなくなります。
夫は、そんな絶対絶命の状況で、冷静に「生きる」ことを選択します。
切れ切れの意識を奮い立たせて、夫は妻の救出に向かいました。
妻が生きていることを確認し、後は下山あるのみ。
ロープを固定するくさびを、氷壁に打ち込む必要がありますが、目が見えません。
手でさぐっても、零下30度に対応するための手袋ではわずかな隙間を知ることができません。
夫は、手袋を捨て、凍傷を覚悟で素手で氷壁を調べます。
失っても良い指は、どれか?
まずは左手の小指。
ようやく探りあてた1箇所にくさびを打ち込みます。
ここまで、1時間。
すでに、左手の小指は重度の凍傷となり、感覚がなくなります。
続いて右手の小指。
そして次のくさびを打ち込みます。
こうして、自分の指を犠牲にしながら少しづつ、少しづつ、氷壁を降りていきます。
想像を絶する精神力ですね・・・・。
こうして、ようやく氷河に降り立ったとき、2人の体力は限界を超えていました。
生きてベースキャンプに戻れるかもわからない。
死を意識した2人は、互いに生きていた証として写真を取り合います。
そして、最後の力を振り絞り、奇跡的に自力でベースキャンプへ戻ります。
予定より1週間後のことでした。
この壮絶な下山の過程で、泰史さんは手足の指を10本、妙子さんは18本失うことになってしまいました。
当時を振り返り、泰史さんは穏やかに語ります。
「とってもいい登山だった」
「おもしろかった」
「やっぱり、僕のやっていたことは間違いじゃない」
妙子さんもにこやかに語ります。
「自分達の限界を極限まで出したなと思います。」
指をそんなに失ったら、登山どころか通常生活にすら困難なのでは?
と思うのですが、二人の生活はいたって普通。
妙子さんは、家庭菜園をやり、庭で取れた野菜を手馴れた手つきで料理をします。
親指は、切断された根元の指を使って、お箸なんかも普通に使っているのですよ。
びっくりです。
そして、泰史さんは、暇さえあれば、自宅の部屋に作ったクライミングウォールを登ってトレーニング。
あ、これは普通じゃないですね。
クライマーとして、あまりに大きな代償を払った二人が、山登りを止めたとかといえば、そうではないのです。
長期にわたるリハビリとトレーニングを経て、2007年には、夫婦でグリーンランドの未踏峰の岩壁オルカに挑み、
見事に成功させてしまった。
なんという二人だろう。
衝撃的です。
感動を超え、呆れてしまうくらいに衝撃的です。
もはや、凡人の私には、この夫妻が超人を超えて、聖人にも狂人にも見えます。
「今まで登ってきた中で、一番難しく印象に残っている山はどこか」という質問に対して、
山野井泰史さんはこう答えました。
「自分より高いレベルの山を目標に設定するため、どの登山も良く、比べられないという。ただ、本当に自分の力を出し切って下山した時が本当に良い登山だという。そういう意味では、指を失ったギャチュン・カン登山は最高の登山だった。」
山野井夫妻は、山がこの世から無くなったら、生きていけないのでは?
山に登ることが、生きること、そのものなのですね。
山の神に愛されているのでしょう。
次のターゲットは、「ヒマラヤ マチェルモ」だそうです。
いつまでも、元気に山に登って頂きたいです。
山野井夫妻の記録をまとめたドキュメンタリ「情熱大陸」はこちらです。
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2012-11-03 07:39
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